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神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)393号 判決

原告(第二事件被告)

深川和子

被告(第二事件被告補助参加人)

近田電機工業株式会社

ほか一名

第二事件原告(亡久野一郎訴訟承継人)

久野正子

主文

一  昭和六一年(ワ)第三九三号事件につき

1  被告近田電機工業株式会社、同富士火災海上保険株式会社は、原告深川和子に対し、各自金五三四万四〇五八円及びこれに対する昭和五六年一〇月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告等に対するその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その一を被告等の、各負担とする。

4  この判決の主文1は、仮に執行することができる。

二  昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件について

1  被告深川和子は、原告久野正子に対し、金一六五万三七六〇円及びこれに対する昭和六〇年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告に対するその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その一を被告の、各負担とする。

4  この判決の主文1は、仮に執行することができる。

事実

以下、「昭和六一年(ワ)第三九三号事件」を「第一事件」と、「昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件」を「第二事件」と、「昭和六一年(ワ)第三九三号事件原告、昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件被告深川和子」を「第一事件原告深川」と、「昭和六一年(ワ)第三九三号事件被告、昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件被告補助参加人近田電機工業株式会社」を「被告近田電機」と、「昭和六一年(ワ)第三九三号事件被告、昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件被告補助参加人富士火災海上保険株式会社」を「被告保険会社」と、「昭和六〇年(ワ)第一四四三号事件原告久野正子」を「第二事件原告久野」と、各略称する。

第一当事者等の求めた裁判

一  第一事件

1  第一事件原告深川

(一) 被告近田電機、同保険会社は、第一事件原告深川に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、被告等の負担とする。

(三) 右(一)につき仮執行の宣言。

2  被告等

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

二  第二事件

1  第二事件原告久野

(一) 第一事件原告深川は、第二事件原告久野に対し、金三五二万七七二〇円及びこれに対する昭和六〇年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、第一事件原告深川の負担とする。

(三) 仮執行の宣言。

2  第一事件原告深川

(一) 第二事件原告久野の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、第二事件原告久野の負担とする。

第二当事者等の主張

一  第一事件

1  第一事件原告深川の請求原因

(一) 別紙事故目録記載の交通事故(以下本件事故という。)が発生した。

(二) 被告等の責任原因

(1) 被告近田電機

右被告は、本件事故当時、加害車の所有者であり、又、訴外沖の使用者であつたところ、訴外沖は右被告の業務執行中その過失により本件事故を惹起した。

よつて、右被告には、自賠法三条又は民法七一五条一項に則り、第一事件原告深川が本件事故により蒙つた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告保険会社

右被告と被告近田電機との間に、加害車に関し、被告保険会社を保険者、被告近田電機を被保険者とする自動車損害賠償責任保険(任意保険)契約が締結されていたところ、本件事故は、右保険契約の保険期間内に発生した。

よつて、被告保険会社には、右保険契約に基づき、第一事件原告深川に対し、同人が本件事故により蒙つた損害につき賠償金(保険金)を支払う責任がある。

(三) 第一事件原告深川の本件受傷及びその治療経過

(1) 金田医院(三木市緑が丘町中二丁目三―一七所在。担当医 金田兵衛。)

(イ) 尾仙部打撲。

(ロ) 昭和五六年一〇月二日から同月一二日まで(実治療日数五日)通院。

(2) 栗田病院(三木市志染町広野一丁目八九―一所在。担当医師栗田久雄。)

(イ) 左臀部挫傷及び腰部挫傷。

(ロ) 昭和五六年一〇月一五日から昭和五七年四月二日まで(実治療日数四一日)通院。

(3) 久野病院(神戸市西区神出町広谷六二三―一六所在。担当医師久野一郎。ただし、同医師が昭和六三年六月三日死亡したことは、第二事件における請求原因のとおり。以下、単に亡久野医師という。)

(イ) 腰、臀部打撲症、脊髄振盪症、けいれん発作。

(ロ) 昭和五七年四月五日から同年一二月二一日まで入院。

昭和五七年一二月二二日から昭和五八年八月二五日まで通院。

(4) 昭和五八年八月二五日、症状固定。

(四) 第一事件原告深川の本件損害

(1) 治療費 金三五二万七七二〇円

久野病院治療費及び休業給付支給請求書証明書代。

(2) 入院雑費 金一八万二七〇〇円

久野病院における昭和五七年四月五日から昭和五八年一二月二一日までの入院期間二六一日につき、一日当り金七〇〇円の割合。

(3) 休業損害 金三八〇万九二二三円

(イ) 第一事件原告深川は、本件受傷のため昭和五六年一〇月三日から症状固定日の昭和五八年八月二五日までの六九二日間全く就労できなかつた。

(ロ) 同人は、本件事故前健康で、訴外播磨電子工業こと村上弘に雇用され、パート作業に従事し、合わせて家事労働に就いていた。

(ハ) 同人の本件休業損害算定の基礎収入は、同人の右就労状況からして、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者四〇歳~四四歳の平均賃金(年収)金二〇〇万九二〇〇円とするのが相当である。仮に、右主張が認められないとしても、同人の一日当りの基礎収入は、金三四〇〇円を下らない。

(ニ) 右各事実を基礎として、同人の本件休業損害を算定すると、金三八〇万九二二三円となる。

200万9200円÷365日×692日=380万9223円

(4) 本件後遺障害に基づく逸失利益 金三六一万〇〇五〇円

(イ) 第一事件原告深川の本件受傷が昭和五八年八月二五日症状固定したことは、前叙のとおりである。

(ロ) 同人には、右症状固定により、後遺障害として極めて頑固な神経症状が残存した。

(ハ) 同人は、右後遺障害により、その労働能力を三五パーセント喪失したところ、右労働能力喪失の継続期間は六年である。

(ニ) 同人の本件後遺障害に基づく逸失利益算定の基礎収入も、同人の前叙休業損害算定の場合と同じく年収金二〇〇万九二〇〇円とするのが相当である。仮に、右主張が認められないとしても同人の基礎収入が一日当り金三四〇〇円を下らないことは、前叙休業損害に関し主張したとおりである。

(ホ) 右各事実を基礎として、同人の本件後遺障害に基づく逸失利益の現価額をホフマン式計算方法によつて算出すると、金三六一万〇〇五〇円となる。(ただし、ホフマン係数は、五・一三三六。)

200万9200円×0.35×5.1336=361万0050円

(5) 慰謝料 金七二二万円

(イ) 入通院分 金二〇〇万円

第一事件原告深川の本件入通院期間は、前叙のとおりである。

右事実に基づけば、同人の本件入通院慰謝料は金二〇〇万円が相当である。

(ロ) 本件後遺障害分 金五二二万円

第一事件原告深川に本件後遺障害が残存すること、その内容は、前叙のとおりである。

右事実に基づけば、同人の本件後遺障害慰謝料は金五二二万円が相当である。

(6) 弁護士費用 金一〇〇万円

(7) 以上、第一事件原告深川の本件損害合計額は、金一九三四万九六九三円となる。

(五)(1) 第一事件原告深川は、本件事故後、同人の本件損害に関し、次の金員を受領した。

(イ) 被告保険会社分 金九六万一七六〇円

(ロ) 訴外同和火災分 金二〇九万円

(ハ) 労災保険分 金四四万五四一八円

合計 金三四九万七一七八円

(2) 同人の右受領分は、同人の右損害に対する填補として同人の前叙損害合計額金一九三四万九六三円から控除されるべきである。

しかして、右控除後の同人の右損害額は、金一五八五万二五一五円となる。

(六) よつて、第一事件原告深川は、被告近田電機、同保険会社に対し、各自本件損害金一五八五万二五一五円の内金一〇〇〇万円及びこれに対する本件事故当日の昭和五六年一〇月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告等の答弁及び抗弁

(一) 答弁

請求原因(一)の事実、同(二)の各事実は認めるが、その主張は争う。同(三)(1)ないし(3)の各事実は認める。しかしながら、右(三)(3)の入通院治療(久野病院関係)については、これと本件事故との間の相当因果関係の存在を否認する。この点については、後叙主張のとおりである。同(三)(4)の事実は否認。第一事件原告深川の本件受傷は、昭和五六年一二月末日か昭和五七年二月末日に症状固定もしくは治癒していた。同(四)(1)中右原告が久野病院で治療を受けたことは認めるが、同(1)のその余の事実は争う。同(2)中右原告が久野病院へ入院したことは認めるが、その余の事実は争う。就中右入院と本件事故との間の相当因果関係の存在を否認することは、右主張のとおりである。同(四)(3)ないし(7)の各事実及び主張は争う。同(五)(1)(イ)の事実は認めるが、同(1)(ロ)、(ハ)の各事実は不知。同(2)の主張は争う。同(六)の主張は争う。

第一事件原告深川の久野病院における治療について、次の主張をする。

(1) 第一事件原告深川の金田医院における診断は、尾仙部打撲により二、三週間の通院加療の見込みというものであつた。しかして、人体の尾てい部には神経が殆どなく、同所を打撲しても一過性的症状が出ることはあつても神経症に至るような傷害にならないから、右診断は、これに符号するものであつた。

しかるに、同人は、昭和五六年一〇月一二日、無断転医した。

(2) 右深川は、金田医院に引き続き栗田医院で治療を受けたが、同医院での診断も、左臀部挫傷腰部挫傷であつた。同人は、昭和五六年一〇年一五日から右医院への通院治療を始め、同年一二月まで継続して治療を受けたものの、昭和五七年一月は一回通院し、同年二月には全く通院しておらず、同年三月一八日より再度通院を重ねている。しかも、右三月一八日からの通院治療は、同人の訴のみで漫然と再開されたものである。

右深川の右治療状況に、尾てい部打撲や腰部打撲で骨折もない場合はそのまま放置していても一か月ないし二か月で自然治癒するとの医学的常識を合せ考えると、同人の右受傷は、昭和五六年一二月末日頃もしくは昭和五七年二月末日頃に症状固定もしくは治癒していたというべきである。

(3) ところが、同人は、昭和五七年四月五日から同年一二月二一日まで久野病院へ入院し治療を受けた。右の如く長期にわたる入院加療を要した医学的根拠は同人における脊髄振盪症にあるところ、右症状は、久野病院において初めて診断されたものであり、しかも、本件事故後約六か月経過して初めて治療の対象とされた。しかしながら、脊髄振盪症は、医学的に、脳振盪と同じく身体に対し外圧が加わつた時に一時的に発症するものであつて、それは、器質的変化を全く伴わない一過性のものとされている。即ち、脊髄振盪症は、仮に事故により発症したとしても事故後数日もすれば跡形もなく消失するものである。それにもかかわらず、亡久野医師は、本件事故から約六か月経過後、右深川に何等の器質的変化が認められないのに、同人に対し、けいれん発作の原因として脊髄振盪症の発症を診断し加療している。脊髄振盪症の右特質から、同人におけるけいれん発作の原因は、脊髄振盪症以外に求めるべきであるのに、右医師の実施したあらゆる医学上の検査によつても、その原因は不明であつた。したがつて、右医師の右診断は誤りであり、右深川の右けいれん発作は、もはや科学的見地からは傷病といえず、いわんや同人の右症状と本件事故との間に相当因果関係の存在を認めることはできない。

(4) 右深川が久野病院に入院していた当時の生活態度から、同人の心因的傾向が窺われ、又、同人は、従来より生理不順、不眠症であり、食事も肉類は受付けず野菜牛乳が中心という通常人とは異なる嗜好を示している。これ等は、同人の特異な体質と情緒不安定な精神状態を示すものである。

又、同人は、右病院へ入院後約一か月経過した昭和五八年五月から、毎月のように頻繁に外出外泊を重ねているが、同人の腰痛や下肢から来るけいれんが真実発症しているならば起立することも歩行することも困難なはずである。

更に、同人には、身体的な低血圧症候群があつて、これが同人の右に述べた特異体質や情緒不安定な精神状態を増長させていた。

加えるに、同人は、本件事故による損害賠償問題が未解決のため心理的に追い詰められていた。

即ち、右深川は、本件事故後その損害賠償問題の処理につき代理人として訴外中島隆宏を選任していたが、同人がその後多数人から交通事故の示談代行を引受けていた事案で詐欺罪の被疑者として逮捕されその事実が新聞で公表されたため、右深川において代理人を替えざるを得なくなり新たな代理人を選任しなければならなくなつたし、右時期と符合し、右深川及び久野病院は、被告保険会社から、右深川の右病院への入院と本件事故との間に因果関係がないから入院費治療費を支払うことはできない旨の通告を受けた。加えて、右深川の久野病院における治療についても双方に対立関係が生じた。

叙上の各事実から、右深川のけいれん発作等の症状の原因は、同人の賠償依存性の強い心因的要素に基づくものというべきであり、同人の右症状と本件事故との間の相当因果関係の存在は、否定されるべきである。

(5) 叙上の各事実を総合すれば、右深川の本件受傷は、昭和五六年一二月末日か昭和五七年二月末日には症状固定もしくは治癒していたというべきである。

(6) 仮に、右主張が認められないとしても、右深川の右時期以後の治療は、同人の心因的要因も加わつて行われたというべきであるから、右事情を斟酌し、損害の公平な分担の法理により、同人の心因的要素が本件損害を増大せしめた割合(寄与分)において減額されるべきである。

(二) 抗弁

(1) 本件事故の態様は、第一事件原告深川の請求原因(一)のとおりである。

(2) 加害車は被告近田電機の従業員送迎車であるところ、右深川は、右事故直前、右車輌を運転していた訴外沖に対し、右深川の所用のため訴外灘神戸生協緑が丘店に送るよう指示した。そこで、訴外沖は、日頃の走行路とは異なつた経路を通つて同店前に至り、右深川の都合の良い場所で停車して同人を下車させていた際、同店付近駐車場から突如自動車が出て来て警笛を高く吹鳴したので、やむなく加害車を少し移動させたところ、右深川が臀部から路上に落下し、本件事故が発生した。

(3) 右事実関係から明らかなとおり、本件事故発生に至るまでの過程において、その走行経路も停車場所も右深川の指示に基づいて行われたものであり、被告近田電機を出発して右緑が丘店に到着するまでは右深川のための運行であつたということができる。

しかして、右運行は、好意同乗として、過失相殺の法理を類推適用し、あるいは損害の公平な分担の見地から、右深川の本訴請求額は、相当の割合において減額されるべきである。

3  抗弁に対する第一事件原告深川の答弁

抗弁事実(1)は認める。同(2)中加害車が被告近田電機の従業員送迎車であること、訴外沖が本件事故直前右車輌を運転し右深川が右車輌に乗車していたこと、右車輌が訴外灘神戸生協緑が丘店前で停車し、右深川が下車していた際、右車輌が移動したため本件事故が発生したことは、認めるが、同(2)のその余の事実は争う。同(3)の主張は争う。

右深川は、加害車に乗車し、同人と同じ地域に帰宅する同僚の訴外藤本昌子、同細見マサ子、同富樫香住等とともに帰宅途中であり、加害車の進行経路は、複数の従業員の都合により日頃から必ずしも一定しておらず、本件事故当日も、右深川において自宅までの途中で買物をするため前叙緑が丘店前で降ろしてもらうため、その旨を訴外沖に依頼したものである。

仮に、右深川が右所用のため訴外沖に加害車の走行路の変更を依頼したとしても、右深川以外の他の三名の同僚従業員が帰宅のため右事故発生時も右車輌に同乗していたのであるから、右深川に対する好意同乗の主張は、失当である。

二  第二事件

1  第二事件原告久野の請求原因

(一) 亡久野医師は、神戸市西区神出町広谷六三番地の一六において久野病院を経営していた。

(二) 本件事故が発生した。

(三) 第一事件原告深川は、右事故後金田医院及び栗田医院に通院し、昭和五七年四月三日久野病院へ通院し、同年四月五日から同年一二月二一日まで入院、同月二二日から昭和五八年八月二五日まで通院の各治療を受けた。

しかして、右深川が久野病院で治療を受けた症病名は、腰臀部打撲傷、脊髄振盪症、けいれん発作であつた。

(四)(1) 亡久野医師は、右深川の右治療期間中その治療を自由診療とし、その治療費は別表1のとおりであつて、診療点数単価は金二〇円であつた。

(2) 亡久野医師、右深川及び同人の代理人訴外中島隆宏、被告保険会社及び同会社代理人弁護士古本英二との間に、昭和五九年五月頃、次の内容の合意が成立した。

(イ) 右深川の右治療費の診療点数単価を金一六円と定め、右深川は、亡久野医師に対し、右単価で計算した治療費を支払う。

(ロ) 本件治療費を労災保険扱いとし、右深川は右治療費を労災保険から受領する保険金をもつて支払う。

(ハ) 被告保険会社は、労災保険から支給される治療費(診療点数単価金一二円)と右合意に基づく治療費の差額金一〇〇万円を負担する。

(3) 亡久野医師は、右合意に基づき診療点数単価金一六円で計算した治療費合計金三五二万七七二〇円(ただし、休業給付支給請求書の証明書代金五〇〇円を含む。以下同じ。その明細は別表2のとおり。)を管轄庁である高砂労働基準監督署に請求したところ、右深川の雇用者である被告近田電機が労災保険に加入していなかつたため、労災保険からの治療費の支払を受けることができなかつた。

なお、亡久野医師は、右合意に基づき、被告保険会社から金一〇〇万円を受領した。

(五) そこで、亡久野医師は、右深川に対し、昭和六〇年三月二八日書面をもつて右治療費合計金三五二万七七二〇円の支払を催告し、右書面は、遅くとも同月三一日、同人に到達した。

(六)(1) ところで、亡久野医師は、昭和六三年六月三日死亡し、第二事件原告久野が包括受遺者として亡久野医師の財産の全てを承継した。

(2) なお、右原告久野は、本件治療費合計金三五二万七七二〇円を前叙合意に基づいて請求するものであるが、仮に、右合意の成立や効力が認められないとするならば、予備的に、右金三五二万七七二〇円を本来の治療費金六二三万五四〇五円の内金として請求する。

(七) よつて、第二事件原告久野は、本訴により、第一事件原告深川に対し、本件治療費合計金三五二万七七二〇円及びこれに対する右治療費支払の催告が到達した日の後である昭和六〇年四月一日から右支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する第一事件原告深川並びに被告(補助参加人)等の答弁

(一) 第一事件原告深川

請求原因(一)ないし(三)の各事実は認める。同(四)、(五)の各事実は争う。同(六)(1)の事実は認め、同(2)の主張は争う。同(七)の主張は争う。

(二) 被告近田電機、同保険会社(補助参加人)

第一事件における原告深川の請求原因(一)、(三)、(四)(1)に対する答弁、就中右深川の久野病院における治療についての主張のとおりである。

3  被告(補助参加人)等の主張に対する第二事件原告久野の反論

被告等の主張は全て争う。被告等の右主張に対する主なる反論は、次のとおりである。

(一) 亡久野医師は、第一事件原告深川のけいれん発作のみの症状を脊髄振盪症と診断したのではない。同医師は、右深川が来院後、レントゲン検査、髄液検査、副甲状腺機能検査、甲状腺機能検査、血清電解質検査、理学的検査(両下肢腱反射検査)等の諸検査を行い、右の如き臨床的検査から、右深川の症状を腰臀部打撲傷、脊髄振盪症、けいれん発作と診断したのであつて、同人のけいれん発作を脊髄振盪症と診断したのではない。

右深川の来院当時における症状は、腰痛のため正座、長期間の歩行、腰を屈めること、重い物を持つことが不可能であり、頑固な腰のしびれ感、倦怠感、違和感が存在していた。亡久野医師は、右の如き症状をも総合判断し、それは単なる打撲傷の後遺症とは考えられなかつたため、右のとおり診断したものである。

(二) 脊髄振盪症とは、病理学的には神経細胞核小体及び髄鞘に変化が認められるが、脊髄組織内には挫傷に見られるような出血等の変化の見られない状態をいう。しかしながら、実際問題として、右症状の病理的所見を調べることは、不可能で確実な診断は困難であるとされている。右深川の来院当時の前叙症状からして、それは単なる打撲傷でないことは明らかであり、同人に脊髄振盪症により重大な脊髄挫傷が存在した可能性も否定できない。

なお、右深川のけいれん発作は、本件事故前は勿論事故後も当初は発生しておらず、昭和五六年一〇月二〇日過ぎになつて初めて発生した。その後、昭和五七年四月三日、同人の左下肢から下顎に至るけいれん発作が起こり、同人は、そのため久野病院へ来院したのである。即ち、右深川のけいれん発作は、同人が久野病院へ来院する以前から発生していたが、栗田医院では問題にされなかつただけである。

(三) 亡久野医師が右深川の症状に対しどのような診断名を付けようとも、同人の右症状が本件事故に起因するものであり、右事故との間の相当因果関係は存在する。

第三証拠関係

本件記録中の、書証、証人等各目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一第一事件について

一1  請求原因(一)、同(二)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  右事実に基づけば、被告近田電機には、自賠法三条に基づき、第一事件原告深川が本件事故により蒙つた本件損害を賠償する責任があり、被告保険会社には、本件保険契約に基づき、右深川に対し、同人が本件事故により蒙つた損害につき賠償金(保険金)を支払う責任があるというべきである。

しかして、被告近田電機と被告保険会社の右各責任は、不真正連帯の関係に立つと解するのが相当であるから、被告等は、右深川に対し、連帯して右賠償金を支払う責任を負うと解するのが相当である。

二1  第一事件原告深川の本件受傷及びその治療経過に関する請求原因(三)(1)、(2)の各事実、右深川が昭和五七年四月五日から久野病院へ入院したことは、当事者間に争いがない。

2  右深川の久野病院における診断病名、それに対する治療内容、右治療と本件事故との間の相当因果関係、右治療期間につき右相当因果関係が肯認される治療期間、右深川の本件受傷が昭和五七年七月一五日症状固定したと認められること等は、第二事件に対する判断において認定説示するとおりであるから、右認定説示をここに引用する。

三  そこで、第一事件原告深川の本件損害について判断する。

1  治療費 金一六五万三七六〇円

右深川の久野病院における本件事故と相当因果関係に立つ治療費が金一六五万三七六〇円であることは、第二事件に対する判断において認定説示するとおりであるから、右認定説示をここに引用する。

2  入院雑費 金七万三五〇〇円

(一) 右深川の久野病院における本件事故と相当因果関係に立つ入院期間が昭和五七年四月五日から同年七月一五日までの一〇五日間であることは、第二事件に対する判断において認定説示するとおりであるから、右認定説示をここに引用する。

(二) 弁論の全趣旨によれば、右深川は右入院期間中入院雑費を支出したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係に立つ損害(以下単に本件損害という)としての入院雑費は、一日当り金七〇〇円の割合で合計金七万三五〇〇円と認める。

3  休業損害 金一五九万六三五一円

(一) 右深川が久野病院へ入院し本件受傷の治療を受けていた期間中就労できなかつたことは、前叙認定から明らかである。

(二) 後掲甲A第一八七号証、成立に争いのない甲B第四、第五号証、乙第一〇、第一一号証、第一事件原告深川本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

(1) 右深川は、本件事故当時四〇才(昭和一六年一〇月一日生)の女子であり、右事故以前には健康な主婦として、家事処理に専従していたが、昭和五六年三月頃から、被告近田電機の下請業である訴外播磨電子工業(事業主訴外村上弘)にパート従業員として雇用され、車両の清掃作業に就労し、合せて家事処理にも従事していた。

(2) 右深川は、本件事故当日の昭和五六年一〇月二日から久野病院へ入院直前の昭和五七年四月四日までの一八五日間、右いずれの就労もできなかつた。

(3) 右深川は右播磨電子工業から受けていた給与額については、これを認めるに足りる証拠がない。

(四) 右認定各事実に基づけば、右深川は、本件受傷により少くとも専業主婦と同額の休業損害を受けたと認めるのが相当であるところ、このような場合、右休業損害算定の基礎収入は、統計資料(賃金センサス)によるのが相当である。

しかして、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計女子労働者四〇歳~四四歳の平均賃金(年額)は、金二〇〇万九二〇〇円である。

(四) 右認定各事実を基礎として、右深川の本件損害としての休業損害を算定すると、金一五九万六三五一円となる。(円未満四捨五入。以下同じ。)

200万9200円÷365日×(185日+105日)≒159万6351円

4  後遺障害に基づく逸失利益 金一二二万七六二五円

(一) 右深川の本件受傷が昭和五七年七月一五日症状固定したと認められること、同人が本件事故前健康な女子であつたこと、同人が右症状固定時四〇歳であつたこと、同人の右時点における収入(年収)が金二〇〇万九二〇〇円と認め得ることは、前叙認定のとおりである。

(二) 後掲甲A第二一一号証(ただし、後示採用しない記載部分を除く。)、成立に争いのない甲B第七号証、第一事件原告深川本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

(1) 右深川には、本件後遺障害として、現在もなお、頑固な腰部のしびれ感、倦怠感、神経的痛みが残存している。

(2) 右深川は、右後遺障害のため、勿論前叙パート作業に従事することはできないし、家事処理についても、その質や量は、本件事故前に比較して遥かに劣る。

(三) 右認定各事実に基づけば、右深川の本件後遺障害は障害等級一二級一二号に該当すると認めるのが相当であるところ、同人は右後遺障害により現在経済的損失を受けていると認められるから、同人の労働能力は現実に喪失しているというべきである。しかして、同人の右後遺障害の内容に、所謂労働能力喪失率表を参酌すると、同人の労働能力喪失率は一四パーセントと、右労働能力喪失期間は五年と認めるのが相当である。

(四) 右認定説示を基礎として、右深川の本件後遺障害に基づく逸失利益の現価額をホフマン式計算方法により算出すると、金一二二万七六二五円となる。(ただし、新ホフマン係数は、四・三六四三。)

200万9200円×0.14×4.3643≒122万7625円

5  慰謝料 金三八〇万円

(一) 入通院分 金一八〇万円

右深川の本件受傷による入通院期間は、前叙認定説示のとおりである。

右認定説示に基づけば、同人の本件入通院分慰謝料は、金一八〇万円と認めるのが相当である。

(二) 本件後遺障害分 金二〇〇万円

右深川に本件後遺障害が残存すること、その内容程度は、前叙認定説示のとおりである。

右認定説示に基づけば、同人の本件後遺障害分慰謝料は金二〇〇万円と認めるのが相当である。

6  叙上の認定説示を総合すると、右深川の本件損害の合計額は、金八三五万一二三六円となる。

三  被告等の抗弁について判断する。

1  抗弁事実(1)、同(2)中加害車が被告近田電機の従業員送迎車であること、訴外沖が本件事故直前右車両を運転し第一事件原告深川が右車両に乗車していたこと、右車両が訴外灘神戸生協緑が丘店前で停車し右深川が下車していた際右車両が移動したため本件事故が発生したことは、当事者間に争いがない。

2  被告等は、右抗弁において加害車が被告近田電機を出発し右緑が丘店に至るまでの間、右車両は右深川のための運行であつた、したがつて、右運行は所謂好意同乗に当る旨主張する。

(一) しかして、被告等の右主張事実は、これを認めるに足りる証拠はない。

(二)(1) かえつて、前掲甲B第四、第五号証、成立に争いのない甲B第三号証、第一〇ないし第一二号証、乙第一七ないし第一九号証、第一事件原告深川本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、加害車には本件事故当時、右深川のほか訴外藤本昌子、同細見マサ子、同富樫香住の三名が同乗していたこと、右四名は、いずれも三木市緑が丘町に居住し、右深川と同じく前叙播磨電子工業に雇用され、右深川と同じ内容のパート作業に従事していたこと、右播磨電子工業では、常時午後五時の終業後、右四名のパート従業員を右会社所在地から同人等の居住地付近まで送り届けていたこと、本件事故当日の右送り届けのために、加害車が使用されたこと、右深川は、右車両に乗車した際、右車両の運転手訴外沖に対し、当日は前叙緑が丘店前で降車させて欲しい旨依頼したこと、右深川は、帰途時折右緑が丘店前で降車させてもらうことがあつたこと、右深川以外の三名の同乗従業員もその近辺で降車すること、加害車が右緑が丘店前付近に至り前方交差点の対面信号機の標示が赤色になつたところから、訴外沖は、右車両を徐行させたこと、右深川が、訴外沖に、ここで降ろして下さいと頼んだこと、訴外沖が右車両を右交差点停止線より手前付近で停止させたこと、訴外沖が右車両を停止させた直後、対向車線上の車両の運転手が、同車両を右緑が丘店駐車場(加害車の進行方向を基準とし、同車両の左側に所在。)に入れるべく、その進路を妨害している訴外沖に向い、加害車を前へ出すよう合図をし、同時にクラクシヨンを二回鳴らしたこと、訴外沖は、これに答え、自車を約三メートル前進させて停止する積りで右車両を時速約五キロメートルの速度で発進移動させたこと、右車両が右のとおり発進した時、右深川が、丁度右車両の左後部ドアーを開け降車しようとしていたこと、右深川が、右車両の右発進のため、右ドアー口から路上に臀部から転落し本件事故が発生したこと、加害車が右出発地点から右事故発生場所まで要した時間は約二〇分であること、右深川は、右車両に乗車した際と降車しようとした際に訴外沖に右依頼をしたほか、右車両の進行中右車両の後部左側座席に座り訴外沖に対し何等の指示をしていないこと、したがつて、右車両の運転は、訴外沖が全く独自の判断で行つていたことが認められる。

(2) 右認定各事実から認められる、右深川と被告近田電機との関係、右深川が加害車に乗車した事情目的その経緯、右車両の同乗者及び右同乗者が右車両に同乗した事情目的その経緯、右車両の進行中における状況、本件事故の態様等に照らしても、被告等の前叙主張は、直ちにこれを肯認することができない。

又、右認定各事実を総合して認められる一連の事実関係に照らすと、右深川の本件損害につき、過失相殺の法理の類推適用を相当とする同人の過失(不注意)があつたとは認め得ないし、同人の本件損害を相当額減額しなければ損害の公平な分担の法理に反するということもできない。

よつて、被告等の抗弁は、全て理由がなく採用できない。

四  損害の填補

1  第一事件原告深川が本件事故後同人の本件損害に関し合計金三四九万七一七八円を受領したことは、右深川において自認(詳細は、第一事件請求原因(五)(1)のとおり。ただし、被告保険会社が内金九六万一七六〇円を支払つたことは、当事者間に争いがない。)するところである。

2  右事実に基づくと、右深川の右受領金合計金三四九万七一七八円は同人の本件損害の填補として同人の前叙認定にかかる本件損害の合計額金八三五万一二三六円から控除すべきである。

しかして、右控除後における同人の本件損害額は、金四八五万四〇五八円となる。

五  弁護士費用 金四九万円

弁論の全趣旨によれば、第一事件原告深川は、被告等が本件損害の賠償を任意に履行しないため弁護士である右深川訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任し、その際相当額の弁護士費用を支払う旨約したことが認められるところ、本件訴訟追行の難易度、その経緯、前叙請求認容額等に鑑み、本件損害としての弁護士費用は金四九万円と認めるのが相当である。

六  叙上の全認定説示に基づき、第一事件原告深川は、被告等に対し、各自本件損害金合計金五三四万四〇五八円及びこれに対する本件事故当日であることが当事者間に争いがない昭和五六年一〇月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するというべきである。

第二第二事件について

一  請求原因(一)ないし(三)、(六)(1)の各事実は、当事者間に争いがない。

二1(一) 成立に争いのない甲A第一ないし第一〇号証、第一三ないし第三六号証、第三九ないし第四七号証、第五〇ないし第二一一号証、第二一三ないし第二一五号証、第二一九号証、証人北島浩二の証言により真正に成立したものと認められる甲A第二一二号証、第二一六号証、第二二〇ないし第二三〇号証、官署作成部分の成立につき争いがなく、その余の部分につき右証人の証言により真正に成立したものと認められる甲A第二一七号証、第二一八号証、証人北島浩二の証言、第一事件原告深川本人尋問の結果(ただし、右甲A第二一六ないし第二一八号証の記載内容及び証人北島浩二の証言中後示信用しない各部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(1)  亡久野医師は、第一事件原告深川の本件治療を自由診療とし、その治療費を診療点数単価金二〇円として算定した。

しかして、右深川が亡久野医師の治療を受けた全期間(この事実は、前叙のとおり当事者間に争いがない。)における右治療費の合計額は金六二三万五四〇五円(詳細は、別表1のとおり。)である。

(2)  訴外北島浩二(以下訴外北島という。)は、昭和五七年四月頃当時から現在まで、亡久野医師の経営した久野病院の事務長の職に在り、右病院の経理関係を含め運営に関する総務全般を統轄している者であるが、同人は、昭和五八年六月二二日、被告保険会社代理人弁護士古本英二の来訪を受け、被告保険会社としては久野病院における右深川への治療行為は本件事故との間の法的因果関係がないと思つているし、あるとしても希薄と思つている、それ故同人に対する治療費を一部減額すべきである旨の申入れを受けた。北島は、右弁護士の右申入れに対し、自分は医師でないし亡久野医師は一寸と同席できないので医学上の見解については回答できない旨応答した。その後、右両名間で、右治療費の処理についての話が交わされたが、結局、当日はこれについて具体的結論が出ないで終つた。

(3)  北島は、昭和五九年五月二四日、被告保険会社近畿損害査定部神戸サービスセンター課長待遇訴外宇治由基夫、右深川代理人訴外中島隆宏等と右治療費の処理について話合を進め、久野病院(亡久野医師。以下同じ。)、右深川、被告保険会社との間で、次の合意をした。

なお、右三者は、右合意の際、右合意は次の約定(ロ)の労災保険金の支払実現を条件とすることをも暗黙に合意した。

(イ) 右深川の本件治療費につき、その診療点数単価を一点金一六円と定め、同人は、久野病院に対し、右単価で計算した治療費を支払う。

(ロ) 本件治療費を労災保険扱いとし、右深川は右治療費を労災保険から受領する保険金をもつて支払う。

(ハ) 労災保険から支給される治療費(診療点数単価一点金一二円)と右合意に基づく治療費の差額填補として、被告保険会社が、久野病院に対し、金一〇〇万円を支払う。

(4)  右合意に基づく本件治療費の合計額は、金三五二万七七二〇円(ただし、休業給付支給請求書の証明代金五〇〇円を含む。詳細は、別表2のとおり。)

(5)  北島は、その頃、右深川の代理人前叙中島から、右合意に基づく労災保険への申請手続は右中島の方で行うから、久野病院作成の関係書類を取揃えて欲しい旨の申入れを受けた。そこで、北島は、同年一〇月一日、右関係書類を取揃えて、これを右中島に交付した。

(6)  右労災保険の管轄庁は高砂労働基準監督署であるが、北島は、昭和六〇年八月になつても、右基準監督署から支給される予定の、右合意に基づく労災保険金の給付がないところから、同月二〇日付で右基準監督署宛右保険金給付について問い合せた。これに対し、北島は、その頃、右基準監督署担当課長から、電話で、右基準監督署において右保険金の給付をすることはできない旨の回答を得、右保険金給付の実現は不可能となつた。

なお、被告保険会社は、昭和五九年五月二八日、久野病院に対し、右合意に基づく金一〇〇万円を支払つた。

(二) 右認定に反する前掲甲A第二一六号ないし第二一八号証の各記載内容部分、証人北島浩二の証言部分は、にわかに信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

2 右認定各事実を総合すれば、亡久野医師と第一事件原告深川との間に、前叙北島、同中島をそれぞれ代理人とし、前叙認定の合意が成立したところ、右合意は、労災保険から保険金金三五二万七七二〇円の給付実現を停止条件としていたが、昭和六〇年八月二〇日過ぎ頃右停止条件の不成就が確定した、したがつて、右合意は右時点で無効に帰したというのが相当である。

もつとも、第二事件原告久野は、右合意が停止条件付であつたこと、右停止条件が不成就に確定したことを明示的に主張していない。

しかしながら、同人の右合意内容、右合意内容が実現するに至らなかつたことの主張中には、右認定にかかる右合意が停止条件付であつたこと、右停止要件が不成就に確定したことの主張も含むと解されるし、右合意の効力に関する説示は法的判断といえるから、右認定説示に弁論主義に違反する点はない。

右認定説示に基づき、第二事件原告久野の第一事件原告深川に対する右合意に基づく本件治療費請求は、右合意の効力の点で既に理由がないというべきである。

三  しかしながら、亡久野医師が第一事件原告深川との間の本件診療契約に基づき同人に対して有する本件治療費請求権は、右合意の無効によつて消滅するものでないと解されるところ、第二事件原告久野も、右合意の効力がない場合には本件治療費合計金六二三万五四〇五円の内金三五二万七七二〇円を請求する旨主張している。

そこで、次に右主張の当否について判断する。

1  第一事件原告深川が久野病院で受けた治療の期間は、前叙のとおり当事者間に争いがなく、亡久野医師が右深川の本件治療を自由診療とし、右治療全期間における治療費の合計額を金六二三万五四〇五円と算定したことは、前叙認定のとおりである。

2  ところで、第一事件原告深川並びに被告(補助参加人)等において、右治療費金六二三万五四〇五円の相当性を争うので、この点について検討する。

(一) 前掲甲A第一ないし第一〇号証、第一三ないし第三六号証、第三九ないし第四七号証、第五〇ないし第二一一号証、第二一九号証、証人野村正行の証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証、証人野村正行の証言、第二事件原告亡久野一郎本人(なお、同人は当時存命していた。)、第一事件原告深川本人の各尋問の結果(ただし、右甲A第二一一号証、乙第九号証の各記載内容及び証人野村正行の証言、亡久野一郎本人の供述中その意見にわたる各部分については後叙のとおり。)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

なお、第二事件原告亡久野一郎が本訴口頭弁論終結前の昭和六三年六月三日死亡したことは前叙のとおり当事者間に争いがないところ、同人は第二事件原告本人として尋問を受け主尋問終了後反対尋問実施前に死亡したことは本件記録から明らかである。そうすると、反対尋問を経ない同人の供述を本件証拠資料とすることができるかが問題になる。しかし、本件においては、反対尋問権者である第一事件原告深川が積極的に右反対尋問権を放棄していることが右記録上明らかであるから、主尋問を経たのみの右亡久野一郎本人の供述を本件証拠資料として採用するに何等支障はないというべきである。

(1) 第一事件原告深川は、久野病院で診療を受ける直前まで栗田病院で治療を受けていたが(この事実は、前叙のとおり当事者間に争いがない。)、同人の右病院における昭和五七年一月一日から同年四月二日(同人は、同月三日、久野病院で診療を受け、以後同病院で治療を受けることになつた。)までの実治療日数は、同年一月が一日、同年二月が零、同年三月が一〇日、同年四月が二日であつた。

しかして、同人は、同年四月三日、左下肢から始り下顎に至るけいれん発作(同発作の第一回目は、昭和五六年一〇月中旬頃栗田病院で治療を受けていた当時発生し、その後も時々発生していた。しかし、栗田病院では、これに対する特別の治療をしなかつた。)を起し、独自の判断で久野病院に赴き、同病院で亡久野医師の診断を受け、同月五日から同病院に入院し治療を受けることになつた。同人は、昭和五七年一月一日以後右けいれん発作が始まるまで自宅で安静にしていた。

(2) 右深川が久野病院へ赴いた当時の状況は、次のとおりであつた。(ただし、亡久野医師の観察による。)

けいれん発作は、なし。長時間の歩行正座、腰をかがめること、重い物を持つことは、いずれも不能。極めて頑固な腰の脱力感、腰のしびれ感、倦怠感、違和感の自覚的症状がある。

(3) 亡久野医師は、右深川に対し、各種検査を施したが、右各検査の種類及びその結果は、次のとおりであつた。

(イ) レントゲン(頭蓋骨、骨盤骨、腰椎骨)

異常なし

(ロ) 頭部CT 右同

(ハ) 髄液 右同

(ニ) 脳液 右同

(ホ) 副甲状腺機能 甲状腺ホルモンやや低値

甲状腺機能 他正常

血清電解質

(ヘ) 理学 異常反射なし

(両下肢腱反射亢進)

(ト) ラセック 陽性

(4) 亡久野医師は、右諸検査の結果から、右深川の右けいれん発作は内科的疾患ではないと判断したが、一方、右深川の右けいれん発作が脳脊髄疾患に起因するのではないかとの疑いを抱き、脳外科専門医訴外吉田耕三に依頼し、右深川をして右吉田医師の診察を受けさせたが、右吉田医師は、右深川の右けいれん発作につき、その原因は不明、と診断した。

(5) 亡久野医師は、右深川の右診察経過から、右深川の現在の症状を脊髄性のものではないかと一応判断し、これに関し、右深川の右症状から、同人の脊髄組織内に何等かの器質的変化が発生している可能性もあると考えた。

しかし、右器質的変化の存在原因を調査確認する病理検査には、当該患者の脊椎骨内の骨髄を取出す手術と採取した右骨髄の検査を必要とするが、亡久野医師は、右深川に右病理検査を実施するについての同人の同意の可能性、右手術の内容、それに伴う危険性、右器質的変化が存在する蓋然性等を総合勘案し、右病理検査を実施しなかつた。

そして、右医師は、右の如き経過から、右深川の現在の症状を、腰臀部打撲傷、脊髄振盪症、けいれん発作と診断し、同病名の下で、右深川の治療に当ることにした。

(6)(イ) ところで、脊髄振盪症は、医学的に見ると一過性のものであり、器質的変化を伴なわず脳振盪と同意義と解されるものであつて、脊髄振盪によるけいれんが身体に外圧を受けた後数か月も経つてから発生することはない。

(ロ) 亡久野医師は、勿論脊髄振盪症の右の如き医学的性質を知悉していたところであるが、右深川の前叙症状、諸検査結果、吉田医師の診断結果、病理検査の不実施等から、右脊髄振盪症なる診断名が右深川の右症状に対し適切であるか疑問を抱きつつも、右症病名で同人の治療を行うことにした。

なお、右深川は、久野病院へ入院後の昭和五七年四月一〇日、同月二二日に、右けいれん発作を起した。

(7) 亡久野医師は、抗けいれん剤の投与を中心に右深川の治療を進めたところ、同人の右けいれん発作は、同年五月三日午前一一時発生した以後発生しなくなり、同人は、同月二六日頃、久野病院看護婦に対し、まだ右抗けいれん剤を服用しなければならないのか旨尋ねたりしていた。

(8) 右深川は、同年五月五日午後五時から外出し同日午後七時三五分帰院し、特変はなかつた。同人は、同年五月三〇日、六月一三日に外出し、同月二〇日外泊し、同月二七日午前八時外出午後九時帰院、同年七月四日午前八時三〇分から同月六日午後九時まで外泊したが、翌七日特変はなかつた。

右深川の同年七月七日以後の症状は愁訴に基づくものであり、それに対する治療内容も、右愁訴への対症療法であつて、内容的に特別変つた治療を行つていない。

なお、右深川は、久野病院へ入院するに際し、同人の食事は野菜牛乳を中心としたもので肉類は全く受付けない、不眠症、生理不順である旨申述べ、神経質である旨の観察を受けている。

(二)(1) 右認定各事実を総合すると、亡久野医師の第一事件原告深川に対する本件治療と本件事故との間の相当因果関係の存在を完全に否定し去ることはできないが、ただ、右治療中法的因果関係、即ち相当因果関係の存在を肯認し得るのは、昭和五七年四月三日から同年七月一五日までの一〇五日間と、したがつて、右深川の本件受傷は、遅くとも昭和五七年七月一五日症状固定したと認めるのが相当である。蓋し、右認定各事実に基づけば、右深川の右時点以後の症状は、心因的な自覚症状と推認するのが相当だからである。

右説示に反する、甲A第二一一号証、乙第九号証の各記載部分、証人野村正行、亡久野一郎本人の各供述部分における各意見は、右認定各事実に照らし、当裁判所の採用するところでない。

(2) しかして、右認定説示に基づけば、亡久野医師の右深川に対する本件治療費は、金二六五万三七六〇円(別表1記載の内昭和五七年四月三日から同年七月一五日までの分。)となる。

(3) ところで、亡久野医師が昭和五九年五月二八日被告保険会社から右深川の本件治療費の内金として金一〇〇万円の支払を受けたことは、前叙認定のとおりであるから、右支払金金一〇〇万円は、右医師の右深川に対する本件治療費金二六五万三七六〇円から控除されるべきである。

しかして、右控除後の右治療費額は、金一六五万三七六〇円となる。

3  前掲甲A第二一七号証及び弁論の全趣旨によれば、亡久野医師は、昭和六〇年三月二八日、第一事件原告深川に対し、本件治療費の支払を催告し、右催告は、その頃、右深川に到達したとが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

四  叙上の全認定説示に基づき、第二事件原告久野は、第一事件原告深川に対し、本件治療費金一六五万三七六〇円及びこれに対する支払催告が右深川に到達した日の後であることが前叙認定から明らかな昭和六〇年四月一日(この点は、第二事件原告久野自身の主張に基づく。)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するというべきである。

第三全体の結論

以上の次第で、第一事件原告深川の本訴各請求、第二事件原告久野の本訴請求は、いずれも右認定の限度で理由があるから、それぞれその範囲内でこれ等を認容し、その余は理由がないから、それぞれこれ等を棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥飼英助)

事故目録

一 発生日時 昭和五六年一〇月二日午後五時三〇分頃。

二 発生場所 三木市緑が丘町中二丁目三番一号先 三木市道単路上。

三 加害車 訴外沖省吾(訴外沖という。)運転の普通貨物自動車。

四 被害者 第一事件原告深川

五 事故の態様 訴外沖が右加害車を停止させ、右原告深川が降車中、訴外沖が右車輌を発進させたため、右原告深川が路上に振り落された。

以上

別表1

〈省略〉

別表2

〈省略〉

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